2009年 12月 13日
斎藤兆史 「英語達人列伝 あっぱれ、日本人の英語」
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日本人として英語を使うことの意味を、われわれはもう一度本気で考えてみるべきではないか。そしてそれを考えるとき、日本の近代を作り上げてきた英語達人たちほど格好の手本はあるまい。
「英語達人列伝 あっぱれ、日本人の英語」 (中公新書1533・2000) 斎藤兆史 著
どんな本を読んでいて楽しいかというと、著者の知性に絶対の(とまで行かずともかなりの)信頼がおけるような本だろう。繰り返し繰り返し読んで、著者の考え方を自分の一部として取り入れたいと思えるような本だろう。私にとってこの本は、数少ないそのような存在である。読むたびに著者・斎藤氏の知性に敬服し、いつか自分もこのようになりたいと憧れを抱く。
本書は明治以降の日本の英語の達人たちについて、彼らの英語の学習法に着目しながら日本史における業績を辿っていく、異色の一冊である。紹介されるのは、以下の錚々たる人物たちだ。
第I章 新渡戸稲造 (『武士道』の著者・国際連盟事務局次長)偉人たちの個々のストーリーも相当におもしろいが、この本をさらにおもしろくしているのは、端々に挿入される著者・斎藤の英語教育論である。日本で初等教育にも英語が浸透しつつある中、文法軽視・会話重視の英語教育が広がっていることに斎藤は警鐘を鳴らす。そして英語を話す時であっても、日本人は日本人としての誇りを失ってはならず、あくまで「日本人としての英語」を話す教育が必要だと主張する。
第II章 岡倉天心 (『茶の本』の著者・ボストン美術館顧問)
第III章 斎藤秀三郎 (英学者・多くの辞典等を著す)
第IV章 鈴木大拙 (『禅と日本文化』を英語で著した)
第V章 幣原喜重郎 (終戦後の内閣総理大臣・「天皇人間宣言」の草稿執筆)
第VI章 野口英世 (細菌学者)
第VII章 斎藤博 (太平洋勃発前の駐米特命全権大使)
第VIII章 岩崎民平 (多くの辞書を編纂した「英語の神様」)
第IX章 西脇順三郎 (英文詩集を執筆した詩人・英文学者)
第X章 白洲次郎 (終戦連絡事務局次長・「従順ならざる唯一の日本人」)
つまり、新渡戸にしても斎藤にしても、英語の勉強時間のほとんどは読書に当てられていたのであって、外国人による授業だけが彼らを英語達人にしたわけではない。いまでは、かつての読解中心の授業が日本の英語教育の元凶であったかのように見られているけれども、英語の勉強として英書を読むこと自体は、大いに奨励されるべきだと僕は考えている。ついつい長文を引用してしまったが、このような斎藤節がそこかしこに顔を出し、偉人たちの物語に花を添える。そして最終章の白洲次郎の章では、著者は自身の白洲に対する強い思い入れを吐露する。英国ケンブリッジ大学への留学経験から身に付けた英語力を駆使して、戦後の日本をGHQの支配から守り続けたサムライ白洲次郎は、著者が理想とする「国際人としての日本人」の一つの具現なのだろう。
ついでに言っておけば、役に立たないものの代名詞になってしまった感のある学校文法や「受験英語」も、それ自体にどれだけ本質的な欠陥があるのか僕にはわからない。 (中略) 学校で習う英語が役に立たないというのは、そもそも習った英語をきちんとマスターしていない人の言い草だろうと思う。(第III章 斎藤秀三郎)
日本の生徒は教室で堂々と発言できないから駄目だ、イエス・ノーをはっきり言わないから困るという英語教師の苦労話をよく耳にする。だが、それは日本の伝統的な言語文化がなせるわざで、その文化は英語を使ったからといって切り捨てられるものでもないし、切り捨てるべきでもない。 (中略) 日本人としての僕の感性からすれば、米国流のディベートのように、ある命題に対し、心情を抜きにして賛否いずれの立場からでも理路整然と議論ができるなどというほうがよっぽどインチキである。以前から僕は、そういう技術や言語使用の理念までを押しつける英語教育に対して疑問を投げかけてきた。それは日本の欧米化を促しはするだろうが、日本人の真の国際化の助けにはなるまい。(第IV章 鈴木大拙)
日本を文化大国とするために、英語が重要な役割を果たすことは間違いない。当然、質の高い英語教育が必要だろう。だが、それはけっして日本独自の言語文化を犠牲にするものであってはならない。最近、英語という言語の成り立ち、その多様性、あるいは英米の言語政策(さらには戦略)などをまったく視野に収めぬ浅薄な英語教育推進論が横行していることを、僕は何よりも憂慮している。(第X章 白洲次郎)
近代日本史の専門家でも何でもない著者は、本書を執筆するにあたって、学者らしくかなり資料を読み込んだ様子である。各章の偉人列伝は簡潔でありながら膨大な情報量を提示し、それでいて語り口は軽妙でたいへん読みやすい。
いつでも自分の傍に置いておきたいと思える、珠玉の名著である。
-hiraku-
追記: Wikipediaによると、著者の斎藤氏は、本書が好評を博したため英語教育論等の著作が増えたらしい。
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by hiraku_auster
| 2009-12-13 01:05
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