2006年 02月 05日
映画「ミュンヘン」と映画「戦場のピアニスト」(1/2)
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映画「ミュンヘン」(Munich, 2005・米国)
映画「戦場のピアニスト」(The Pianist, 2002・仏独英ポーランド)
スピルバーグ監督の最新作「ミュンヘン」(昨日より公開中)はさまざまな面から見てすばらしいと思うが1、その中でも際立つ点というのは、私がポランスキー監督映画「戦場のピアニスト」を観て特に感銘を受けた部分と共通すると感じた。そこで、今回はこれら二つの映画を同時に紹介する。
映画「ミュンヘン」は1972年のミュンヘン五輪開催中に起きたPLO(パレスチナ解放機構)によるイスラエル選手団の殺害テロの情景より始まる。イスラエル政府は、事件の報復としてPLO幹部の暗殺を秘密裏に決定し、秘密警察の精鋭を集める。この映画の主人公アブナー(エリック・バナ )がこの暗殺チームのリーダーとなる。
イスラエルとパレスチナの紛争という微妙な問題を真っ向から描いただけでも十分すごいが、この作品を決定的な名作にしている点は、本映画が達成した絶妙のバランスである。スピルバーグ自身はユダヤ系であるが、決してイスラエル側の正当性を喧伝するような内容になっていない。映画中、パレスチナ側のゲリラが理想を語るシーンすらある。その結果、この映画は右派左派両方からの批判の挟み撃ちにあってしまっているらしい。映画が伝えるメッセージはこうであろう。戦いの先に平和などない。紛争はそれ自体が悪であり、正義のための紛争など存在しないのだと。
主人公アブナーの心境の変遷が巧みに設定されている。当初はパレスチナのテロに怒り、自らの正義を信じて疑わないアブナー。しかし、血なまぐさい暗殺に手を染めていく過程で迷いを感じ、この戦いの果てに平和などなく、自分がただいつ終わるとも知れぬ報復の連鎖に参加しているだけだと気づく。極度の緊張を強いられる生活ゆえに精神を病み、廃人のようになって妻のもとに帰る。そこには暖かい家庭がある。自分の家族と郷土は心より愛すべき存在で、必ずやテロリストより守らねばならない。しかし、テロに報復したところで暴力の連鎖を呼び、家族・郷土を守ることにはつながらない。――スピルバーグ監督はそんな単純な物語を執拗に、壮大なスケールで描いた。アブナーの迷いは、いまの時代を生きる人類の心理の象徴である。2, 3
(次回へつづく)
脚注:
1) JMM(Japan Mail Media)のメールマガジンのうち、毎週土曜配信の冷泉彰彦氏による『from 911/USAレポート』はいつも楽しみにしている。2005年12月31日号(連載第231回)において冷泉氏はこの映画「ミュンヘン」を取り上げ、冒頭で「スピルバーグ監督の映画『ミュンヘン(原題は "Munich" ミュニック)』は監督の最高傑作であるだけでなく、2005年までの現時点で言えば、今世紀のハリウッド映画の中で、最も価値のある作品ではないかと思います 」とまで絶賛している。冷泉氏ほどの知性が、ここまで評価する映画とはどんなものだろう、と興味を持って映画館に足を運んだ。今回ブログエントリーを記すにあたっては、冷泉氏の評論を全面的に参考にさせていただいた。
2) スティーブン・スピルバーグが、単なる家族向けヒューマンドラマ、あるいは大衆受けするサスペンスドラマを作るだけの監督ではない、と私が気づいたのはとても遅く、ようやく「マイノリティ・リポート」によってであった(「プライベート・ライアン」は最近になって鑑賞)。それら作品を経て彼が本作品で到達した高さたるや圧倒的で、感嘆を禁じえない。彼が設立したドリームワークス社が「プライベート・ライアン」「アメリカン・ビューティー」「グラディエーター」「ビューティフル・マインド」「シュレック」で立て続けにアカデミー賞各賞を受賞したことも考えれば、スピルバーグの映画界への貢献度は比類ない。巨大な組織の活動をまとめ上げて一つの映画作品を生み出していく、たいへん稀有な能力を持った人物のようだ。
3) ラストシーンでマンハッタンのツインタワーが映し出される、というほどにこの映画の政治的メッセージは強烈であるから、「戦場のピアニスト」と同様、アカデミー作品賞を獲得することは難しいのではないだろうか。
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by hiraku_auster
| 2006-02-05 15:09
| 映画