2007年 02月 12日
エチオピア旅行・5 ~アジス一日目(その2)
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(前回からのつづき)
三位一体教会(トリニティ大聖堂)へ見学に連れて行っていただいた。エチオピアにおけるキリスト教受容の歴史は長く、紀元後すぐには伝来していたという。しかしその後、ヨーロッパからは独立した歴史を持ったことから、エチオピアにおけるキリスト教は、独自の発展を遂げたらしい。ここでのキリスト教は「エチオピア正教」と呼ばれ、印象的だったのは、さまざまな形の十字架(マスカル)があること。道を行く聖職者は手にマスカルを持ち、すれ違う人々は聖職者に礼をし、マスカルに口づけをさせてもらう。特に郊外のゴンダールに行ったときなど、何度も街でそういう風景を目にした。三位一体教会にも敬虔な参拝者が居て、見学のためにのこのこやってきてしまって良かったのかなと少し気が引けた。キリスト教に関しては、この三日後に訪れたラリベラでもっとすごい経験をすることになる。
アジスアベバの三位一体教会(トリニティ大聖堂)。
マスカル(エチオピア正教の十字架)の例(これは三日後のラリベラにて撮影したもの)。
三位一体教会には最後の皇帝、ハイレ・セラシエとその妃の遺体を安置した石棺が置かれていた。天井には、1941年にイタリアの植民支配から独立したことを記念する天井画が描かれていた。イタリアはこの地を1936年から1941年まで植民地とした。まったく知らなかったのだけれど、エチオピア侵攻時にイタリアは毒ガス兵器(マスタードガス)を使用し、27万人のエチオピア人が犠牲になったとされるという。それを事実としてイタリア政府が公認したのはじつに1996年というから、決して遠い過去の話というわけではないようだ。
エチオピアといえばコーヒーということで、アジスアベバでも特に有名だというTomocaへ連れて行っていただいてマキアートを飲む。私は普段はコーヒーはあまり飲まないし、マキアートもほとんど飲んだことがなかったけれど、エチオピアで飲んだコーヒーはどこもおいしくて、ほぼ毎食後、マキアートを飲んでいました。本当においしかったな。あとここでお土産に買ったコーヒー豆は友人たちにも好評でした。
Tomoca店内。
夕方には、アジス在住の日本人の方の自宅で行われた年忘れカラオケ大会(?)に乱入させていただく。さすが途上国で働く方々は(って関係があるのかは知らないけど関係あるような気がする)、皆さんすごく多才で、歌がうまいだけじゃなくて、ギターとキーボードで生演奏したりとか、その時間を楽しむ才能にあふれている感じがしました。東京の街を歩くと疲れて生気のない顔ばかりとすれ違うけれど、こんなにパワフルな日本人が、居るところにはたくさん居るのだなあと、まったく感心したのでした。
晩御飯は、伝統的なエチオピアの踊りを見つつ、エチオピアの主食・インジェラを食べさせてくれるYODという店へ。かなり人気の店らしく、夜を通して混雑していました。歌も踊りもすばらしく、インジェラも結構いけて(偽バナナというのだけは受けつけなかったけど)、エチオピアビールや、蜂蜜から作ったタッジというお酒も飲みつつ、ご一緒した他の日本人も皆さんすばらしい方々で会話もはずみ、よく笑った素敵な夜でした。
YODの歌と踊り。
インジェラ:稗(ひえ)や粟(あわ)と同種だというテフという粉を練って発酵させたもの。右手でちぎって食べます(左手を使ってはいけない)。インジェラの表面はガスが抜けた穴が無数に開いていて見た目は少々グロいけれども、いろいろな具をからめるとおいしい。中でも羊の肉を炒めたティブスというのがお気に入りでした。インジェラ自体はちょっと酸っぱい味がする。これ以降の旅行先でもいろいろインジェラを食べたけれど、場所ごとに色や味が微妙に違っておもしろかった。上の写真では、灰色のロールがインジェラです。
(次回へつづく)
三位一体教会(トリニティ大聖堂)へ見学に連れて行っていただいた。エチオピアにおけるキリスト教受容の歴史は長く、紀元後すぐには伝来していたという。しかしその後、ヨーロッパからは独立した歴史を持ったことから、エチオピアにおけるキリスト教は、独自の発展を遂げたらしい。ここでのキリスト教は「エチオピア正教」と呼ばれ、印象的だったのは、さまざまな形の十字架(マスカル)があること。道を行く聖職者は手にマスカルを持ち、すれ違う人々は聖職者に礼をし、マスカルに口づけをさせてもらう。特に郊外のゴンダールに行ったときなど、何度も街でそういう風景を目にした。三位一体教会にも敬虔な参拝者が居て、見学のためにのこのこやってきてしまって良かったのかなと少し気が引けた。キリスト教に関しては、この三日後に訪れたラリベラでもっとすごい経験をすることになる。
アジスアベバの三位一体教会(トリニティ大聖堂)。
マスカル(エチオピア正教の十字架)の例(これは三日後のラリベラにて撮影したもの)。
三位一体教会には最後の皇帝、ハイレ・セラシエとその妃の遺体を安置した石棺が置かれていた。天井には、1941年にイタリアの植民支配から独立したことを記念する天井画が描かれていた。イタリアはこの地を1936年から1941年まで植民地とした。まったく知らなかったのだけれど、エチオピア侵攻時にイタリアは毒ガス兵器(マスタードガス)を使用し、27万人のエチオピア人が犠牲になったとされるという。それを事実としてイタリア政府が公認したのはじつに1996年というから、決して遠い過去の話というわけではないようだ。
エチオピアといえばコーヒーということで、アジスアベバでも特に有名だというTomocaへ連れて行っていただいてマキアートを飲む。私は普段はコーヒーはあまり飲まないし、マキアートもほとんど飲んだことがなかったけれど、エチオピアで飲んだコーヒーはどこもおいしくて、ほぼ毎食後、マキアートを飲んでいました。本当においしかったな。あとここでお土産に買ったコーヒー豆は友人たちにも好評でした。
Tomoca店内。
夕方には、アジス在住の日本人の方の自宅で行われた年忘れカラオケ大会(?)に乱入させていただく。さすが途上国で働く方々は(って関係があるのかは知らないけど関係あるような気がする)、皆さんすごく多才で、歌がうまいだけじゃなくて、ギターとキーボードで生演奏したりとか、その時間を楽しむ才能にあふれている感じがしました。東京の街を歩くと疲れて生気のない顔ばかりとすれ違うけれど、こんなにパワフルな日本人が、居るところにはたくさん居るのだなあと、まったく感心したのでした。
晩御飯は、伝統的なエチオピアの踊りを見つつ、エチオピアの主食・インジェラを食べさせてくれるYODという店へ。かなり人気の店らしく、夜を通して混雑していました。歌も踊りもすばらしく、インジェラも結構いけて(偽バナナというのだけは受けつけなかったけど)、エチオピアビールや、蜂蜜から作ったタッジというお酒も飲みつつ、ご一緒した他の日本人も皆さんすばらしい方々で会話もはずみ、よく笑った素敵な夜でした。
YODの歌と踊り。
インジェラ:稗(ひえ)や粟(あわ)と同種だというテフという粉を練って発酵させたもの。右手でちぎって食べます(左手を使ってはいけない)。インジェラの表面はガスが抜けた穴が無数に開いていて見た目は少々グロいけれども、いろいろな具をからめるとおいしい。中でも羊の肉を炒めたティブスというのがお気に入りでした。インジェラ自体はちょっと酸っぱい味がする。これ以降の旅行先でもいろいろインジェラを食べたけれど、場所ごとに色や味が微妙に違っておもしろかった。上の写真では、灰色のロールがインジェラです。
(次回へつづく)
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by hiraku_auster
| 2007-02-12 09:47
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