2005年 09月 04日
村上春樹・柴田元幸「翻訳夜話」 (1/2)
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「翻訳夜話」 (村上春樹・柴田元幸 著) 文春新書
この本は村上春樹と柴田元幸が自身らの翻訳観について語った本であるが、読者が得る情報は翻訳についてだけではなく、むしろそれ以上に彼らの文章の書き方、文章の読み方 ―総じてテキストへの対し方― だと思う。翻訳とは「極端に濃密な読書」、あるいは「効率の悪い読書」だと村上は言う。だから、翻訳について語ることはやはり読書について語ることとなる。同時に、外国語(二人の場合は英語)で書かれた内容を「自分を捨てて」日本語へ置き換えていく作業が翻訳であるから、日本語で書くとはどういうことかを、初めから日本語で書き起こすとき以上に突き詰めていくこととなる。
結果、この本は翻訳家を目指している人だけではなく、すべからくよりよい文章が書きたいと思っている人、そして深いところまで文章を読み解きたいと思っている人、そんな人が読むとすごく楽しめる本となっていると思う。いや別にそんなふうに一般化できなくても、私個人はとっても楽しんだ、というだけで十分なんですが、とにかく言いたいのは、タイトルに「翻訳」とついているけれど、たとえ翻訳に興味がなくてもきっと楽しめるからだまされたと思って読んでください、ということなのです。
さて、この本の構成はとても変わっていてとても凝っている。三種類の聴衆の前で質問を受けながら村上と柴田が翻訳について対話するのだが、その聴衆は、まず第一部が東大の学部1・2年生、第二部が翻訳学校の生徒たち、そして第三部が柴田が信頼するという若手翻訳家たち6人、とうまい具合にレベルアップしていく。おまけに三番目の対話の前には、村上と柴田がふだん翻訳している作家を交換して訳した原稿が掲載されていて、その違いについて第三部で論じるという至れり尽くせりな内容だ(おまけに英語原文も巻末に収録されている)。二人が訳すのはレイモンド・カーヴァーの「Collectors」と、ポール・オースターの「Auggie Wren’s Christmas Story」。翻訳とは読み手の立場に立って考える「愛」だと柴田は言うが、彼らの読み手に対する愛は翻訳の文章だけではなくて、この本の企画・構成にまで行き届いているように思える。
翻訳についての二人の考えは実際にこの本を読んで知っていただくとして、それよりももっと一般に役立つ文章の書き方・読み方に関する二人のコメントをちょっと書き出してみる。
文章の書き方:何はなくともまずリズム1
文章を書くときには、リズムへの配慮がいちばん大切だと二人は口を揃えて言う。
文章っていうのは人を次に進めなくちゃいけないから、前のめりにならなくちゃいけないんですよ。どうしたら前のめりになるかというと、やっぱりリズムがなくちゃいけない。音楽と同じなんです。 (フォーラム1の村上の発言)ここで柴田が語る「リズムと呼吸」については、三浦雅士著「村上春樹と柴田元幸のもうひとつのアメリカ」のインタビューの中で柴田がもっと詳しく話しているので参照されたい。読点の問題で言えば、たとえば「彼の父親ハリーは」では読点はいらないけど、「彼の父親雄三は」とは書けない、読点がいる、といったことを。(漢字が並ぶと目でリズムが取りにくくなるからである。)
翻訳の授業をやっていても、ここに点を打て、全体に読点を工夫しろとか、とにかくそればっかり言ってるんですよね。こないだなんか、「この授業では、読点は人格の問題だ」とまで宣言した。そのへんが学生の翻訳を読んでいて、いちばん物足りない。 (中略) 呼吸っていうものをちょっと軽視してるんじゃないか。 (フォーラム3での柴田の発言)
村上はさらに話を発展させて、文章のリズムとは「ビート」と「うねり」からなると解説する。このあたりはもう作家・村上春樹の真骨頂だ。「海辺のカフカ」とか読んでると、私なんかは文章に目が引き付けられて離せなくなる。それは単に一文一文の中に実感的なリズム(=ビート)があるからだけではなくて、村上によれば、ビートよりももっと大きなサイクルの「うねり」があるからだ、ということになるのだろう。
良い文章というのは、人を感心させる文章ではなくて、人の襟首をつかんで物理的に中に引きずり込めるような文章だと僕は思っています。 (フォーラム1での村上の発言)(次回へつづく)
やっぱりいちばん〔村上の翻訳から〕盗めないのは、その前のめりになる文章の勢い、力ですね。これは天性のものですね、って言っちゃうと、もうなにか、絶望しなさいと言っているようなものなんですけど(笑)。 (フォーラム2での柴田の発言。〔〕内は引用者が挿入)
脚注:
1) 「何はなくともまずリズム」というのが「鳩よ!(2001年8月No.208) 特集・柴田元幸 アメリカ文学おもちゃ箱」のシバタ助教授・第一講義のタイトルであった。
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by hiraku_auster
| 2005-09-04 23:51
| 村上春樹・柴田元幸