2011年 05月 08日
ポール・オースター「オラクル・ナイト」
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ポール・オースター「オラクル・ナイト」新潮社(柴田元幸訳、2010年)
この17年の間、ポール・オースターは私が最も敬愛する作家だが(このブログは本来オースター作品を紹介するために作った)、ここ数年は原書の新作どころか柴田先生の訳本が出ても、読むだけの心の余裕がない状態だった。ようやく手に取ったシバタ訳の「オラクル・ナイト」。もう、びっくりするほど良かった。そしてまた私がかつて好きだったオースター作品から、ずいぶん進化していることにも驚いた。
物語内物語の構造を荒唐無稽なレベルにまで重層化することを楽しんだ小説、なのだろう。私は前作「幻影の書」について書いたブログ記事で、物語内物語の重層構造が面白かったと書いたところだったので、本作ではその重層さがさらに上乗せされていてわくわくした。子供じみたパズル小説の体裁を借りているところは、「ガラスの街」を始めとするニューヨーク三部作を思わせる。主人公が小説家ということで、自伝的な香りがするところは「孤独の発明」や「ムーン・パレス」とも似ている。小説を書いているときに姿が消える、なんておとぎ話ふうの設定は、「最後のものたちの国で」「ミスター・ヴァーティゴ」を連想させる。電話帳整理なんていう不思議な単純労働は、まるで「偶然の音楽」のようだ。そして数々の面白い挿話は、「トゥルー・ストーリーズ」「ナショナル・ストーリー・プロジェクト」を思わせる。そんなわけでどこをとってもオースター印の作品なのではあるが、そんなオースターの作家人生の集大成とも思える作品でありながら、デビュー当時のニューヨーク三部作を思わせるエレガントさを保っているところが、以前のオースターとはずいぶん違う。いろんなところをぐるっと回って、経験値を高めてからスタート地点に戻ってきた感じ。本作品を読んでいると、自分が17年前に初めて「幽霊たち」を紐解いた日が、なんとなく思い起こされた。
本作には数多くの印象的な挿話が登場するが、その中でも私のお気に入りは以下の二つ。
◆ 主人公シドの友人トラウズの義弟リチャードが、古い家族写真(立体写真になっている)を見つけて「体が空っぽになるまでしくしく泣いた」話。繰り返し写真を見すぎて立体写真の機械を壊してしまうが、機械を修理しないことにする。…たったこれだけの話だが、オースターが書くとどうしてこんなに魅力的な話になるのだろう。この話だけでももっと読みたい、と思わせる。しかしたった数ページでこの物語内物語は終わり、小説はもとの物語に戻る。本作品はその繰り返しだ。
◆ シドが立ち寄ったカフェでふと目にした新聞記事。トイレで生まれた赤ん坊が便器に捨てられた、という殺人事件についてだが、それを読んだシドは「こんなひどい話を読んだことがない」と思い、体が震え、目から涙があふれ出す。ずいぶん昔に私自身、似たような記事を読んで似たように感じたことがあるので、改めてオースターに親近感を感じた。…思えば、「ムーン・パレス」は、私自身について書いてあるんじゃないかと長らく思っていたのである。私が漠然にしか意識できないことを、オースターはいつも明晰な言葉に変換してくれる。
正直、もうオースターは卒業した、なんてちょっと思い上がっていたので、「オラクル・ナイト」がすごく良くてびっくりした。オースターを読む喜びに自分が戻って来られてうれしい。
-hiraku-
本ブログ内の関連エントリー:
● ポール・オースター『空腹の技法』
● ポール・オースター『鍵のかかった部屋』
● ポール・オースター『リヴァイアサン』
● ポール・オースター『偶然の音楽』
● ポール・オースター『The Book of Illusions(幻影の書)』
● ポール・オースター『最後の物たちの国で』
● ポール・オースター『幽霊たち』
● 舞台『ムーン・パレス』
● 舞台『偶然の音楽』
この17年の間、ポール・オースターは私が最も敬愛する作家だが(このブログは本来オースター作品を紹介するために作った)、ここ数年は原書の新作どころか柴田先生の訳本が出ても、読むだけの心の余裕がない状態だった。ようやく手に取ったシバタ訳の「オラクル・ナイト」。もう、びっくりするほど良かった。そしてまた私がかつて好きだったオースター作品から、ずいぶん進化していることにも驚いた。
物語内物語の構造を荒唐無稽なレベルにまで重層化することを楽しんだ小説、なのだろう。私は前作「幻影の書」について書いたブログ記事で、物語内物語の重層構造が面白かったと書いたところだったので、本作ではその重層さがさらに上乗せされていてわくわくした。子供じみたパズル小説の体裁を借りているところは、「ガラスの街」を始めとするニューヨーク三部作を思わせる。主人公が小説家ということで、自伝的な香りがするところは「孤独の発明」や「ムーン・パレス」とも似ている。小説を書いているときに姿が消える、なんておとぎ話ふうの設定は、「最後のものたちの国で」「ミスター・ヴァーティゴ」を連想させる。電話帳整理なんていう不思議な単純労働は、まるで「偶然の音楽」のようだ。そして数々の面白い挿話は、「トゥルー・ストーリーズ」「ナショナル・ストーリー・プロジェクト」を思わせる。そんなわけでどこをとってもオースター印の作品なのではあるが、そんなオースターの作家人生の集大成とも思える作品でありながら、デビュー当時のニューヨーク三部作を思わせるエレガントさを保っているところが、以前のオースターとはずいぶん違う。いろんなところをぐるっと回って、経験値を高めてからスタート地点に戻ってきた感じ。本作品を読んでいると、自分が17年前に初めて「幽霊たち」を紐解いた日が、なんとなく思い起こされた。
本作には数多くの印象的な挿話が登場するが、その中でも私のお気に入りは以下の二つ。
◆ 主人公シドの友人トラウズの義弟リチャードが、古い家族写真(立体写真になっている)を見つけて「体が空っぽになるまでしくしく泣いた」話。繰り返し写真を見すぎて立体写真の機械を壊してしまうが、機械を修理しないことにする。…たったこれだけの話だが、オースターが書くとどうしてこんなに魅力的な話になるのだろう。この話だけでももっと読みたい、と思わせる。しかしたった数ページでこの物語内物語は終わり、小説はもとの物語に戻る。本作品はその繰り返しだ。
◆ シドが立ち寄ったカフェでふと目にした新聞記事。トイレで生まれた赤ん坊が便器に捨てられた、という殺人事件についてだが、それを読んだシドは「こんなひどい話を読んだことがない」と思い、体が震え、目から涙があふれ出す。ずいぶん昔に私自身、似たような記事を読んで似たように感じたことがあるので、改めてオースターに親近感を感じた。…思えば、「ムーン・パレス」は、私自身について書いてあるんじゃないかと長らく思っていたのである。私が漠然にしか意識できないことを、オースターはいつも明晰な言葉に変換してくれる。
正直、もうオースターは卒業した、なんてちょっと思い上がっていたので、「オラクル・ナイト」がすごく良くてびっくりした。オースターを読む喜びに自分が戻って来られてうれしい。
-hiraku-
本ブログ内の関連エントリー:
● ポール・オースター『空腹の技法』
● ポール・オースター『鍵のかかった部屋』
● ポール・オースター『リヴァイアサン』
● ポール・オースター『偶然の音楽』
● ポール・オースター『The Book of Illusions(幻影の書)』
● ポール・オースター『最後の物たちの国で』
● ポール・オースター『幽霊たち』
● 舞台『ムーン・パレス』
● 舞台『偶然の音楽』
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by hiraku_auster
| 2011-05-08 01:48
| ポール・オースター