2006年 03月 11日
映画「アマデウス」(2/2)
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(前回からの続き)
映画のラストシーンは謎が多く、視聴者の解釈にゆだねられている。私は長い間、普通に、サリエリの言葉どおりに解釈していた。サリエリは神との戦いに敗れたのだ。サリエリがモーツァルトより長生きしたのは、勝利したのではなく、自分の音楽が消え去り、モーツァルトの音楽が評価されるのを見届けるという、神からの罰なのだ。サリエリが「私は凡庸な者のチャンピオンだ」と言うとき、それは負け惜しみに過ぎず、結局は高みから聞こえるモーツァルトの、あるいは神の、笑い声にさらされてしまう。…… でも最近、まったく別な解釈が可能なのではと思えてきた。なぜなら、このラストシーンでサリエリが不幸だったとはどうしても思えないからだ。数百回この映画を見て、ようやく私はこの映画が少しわかってきた気がする3。
サリエリは、モーツァルトの殺害を決意したときの思いを、「脳が二つに割れる」と表現する4。それは単に、「倫理的な自分」と「非倫理的な自分」が分かたれるというだけではないだろう。それは、自分の脳の中に住んでいるモーツァルトという存在をどうするか、というサリエリの苦悶であったのだ。一生モーツァルトに追従するのか、それともモーツァルトがしたように、自分も「サリエリ独自」の音楽を作り上げるのか。自分がモーツァルトの音楽を認めるように、サリエリは世界でただ一人、モーツァルトだけに自分の音楽を認めて欲しかったのだ。その音楽が、モーツァルトと同じレベルまで到達した、とモーツァルトの口から言って欲しかったのだ。そうなるためにはモーツァルトにいつまでも追従していたのではいけない。頭の中のモーツァルトを殺害し、自分自身を手に入れなくてはならない。だからこの映画における「モーツァルト殺害」というのは、サリエリの用いた比喩である。確かにサリエリはモーツァルトを殺したのだろう。でもそれはサリエリの頭の中での事件である。もしかしたら冒頭のサリエリの狂言自殺から神父への懺悔も、すべてはサリエリの頭の中だけでの出来事かも知れない。それはさして重要な問題ではない。映画の最後に聞こえるモーツァルトの笑い声は、きっと同時に、サリエリの声でもあるのだ。サリエリの中のモーツァルト的なるものが、自分の人生を振り返って、「やれやれ」と自嘲したのだ。それは失敗した自分への、後悔と軽蔑のあざけりだっただろうか? そんなはずはない。サリエリは、幸せだった。確かに作曲家として歴史に名を残すことはできなかったが、夢を追い続けた自分に恥じるところはないであろう。そんなことができたのは、彼の人生において、モーツァルトという、一生かけて追い求める存在と出会うことができたからだ。まさにモーツァルトが、サリエリの人生に意味を与えてくれて、活力と、興奮をもたらしてくれたのだ。それを私たちは普通、「愛」と呼ぶ。
-hiraku-
脚注:
3) 2002年には映画に20分の未公開シーンを加えた、「ディレクターズ・カット版」のDVDが発売された。公開時カットされたシーンは、カットされただけあって、ややストーリーを冗長にする気がする。そう思うのは私が公開版を観すぎているせいだろうけど。それよりもこのディレクターズ・カット版DVDの良いところは、公開版DVDにはまったく入っていない特典がいろいろついていること。監督・フォアマンと脚本・シェーファーのコメンタリーは興味深いし、出演者たちが撮影当時を振り返るインタビューもおもしろい。
4) ここでのサリエリの台詞は、"And now the madness began in me. The madness of a man splitting in half."(拙訳:「私の中で狂気が芽生えた。一人の人間が、二つに裂けていく狂気だ」)。こう言いながら自分の頭が二つに割れるゼスチャーをする。(字幕は「私の奥で狂気が増殖し始めた」となっており、ゼスチャーとやや合致していない。)
AMADEUS
Directed by Milos Forman
Written by Peter Shaffer
Music Director: Sir Neville Marriner
CAST
F. Murray Abraham .... Antonio Salieri
Tom Hulce .... Wolfgang Amadeus Mozart
Elizabeth Berridge .... Constanze Mozart
Simon Callow .... Emanuel Schikaneder/Papageno
Roy Dotrice .... Leopold Mozart
Christine Ebersole .... Katerina Cavalieri/Costanza
Jeffrey Jones .... Emperor Joseph II
Charles Kay .... Count Orsini-Rosenberg
1984年度・アカデミー賞の作品、監督、主演男優、脚色、美術、衣裳デザイン、メイクアップ、音響の8部門を受賞。
本ブログ内の他の映画評:
● 「ミュンヘン」と「戦場のピアニスト」/● 「ナルニア国物語第1章」/● 「アメリカン・ビューティー」/● 「笑の大学」/● 「ロリータ」
映画のラストシーンは謎が多く、視聴者の解釈にゆだねられている。私は長い間、普通に、サリエリの言葉どおりに解釈していた。サリエリは神との戦いに敗れたのだ。サリエリがモーツァルトより長生きしたのは、勝利したのではなく、自分の音楽が消え去り、モーツァルトの音楽が評価されるのを見届けるという、神からの罰なのだ。サリエリが「私は凡庸な者のチャンピオンだ」と言うとき、それは負け惜しみに過ぎず、結局は高みから聞こえるモーツァルトの、あるいは神の、笑い声にさらされてしまう。…… でも最近、まったく別な解釈が可能なのではと思えてきた。なぜなら、このラストシーンでサリエリが不幸だったとはどうしても思えないからだ。数百回この映画を見て、ようやく私はこの映画が少しわかってきた気がする3。
サリエリは、モーツァルトの殺害を決意したときの思いを、「脳が二つに割れる」と表現する4。それは単に、「倫理的な自分」と「非倫理的な自分」が分かたれるというだけではないだろう。それは、自分の脳の中に住んでいるモーツァルトという存在をどうするか、というサリエリの苦悶であったのだ。一生モーツァルトに追従するのか、それともモーツァルトがしたように、自分も「サリエリ独自」の音楽を作り上げるのか。自分がモーツァルトの音楽を認めるように、サリエリは世界でただ一人、モーツァルトだけに自分の音楽を認めて欲しかったのだ。その音楽が、モーツァルトと同じレベルまで到達した、とモーツァルトの口から言って欲しかったのだ。そうなるためにはモーツァルトにいつまでも追従していたのではいけない。頭の中のモーツァルトを殺害し、自分自身を手に入れなくてはならない。だからこの映画における「モーツァルト殺害」というのは、サリエリの用いた比喩である。確かにサリエリはモーツァルトを殺したのだろう。でもそれはサリエリの頭の中での事件である。もしかしたら冒頭のサリエリの狂言自殺から神父への懺悔も、すべてはサリエリの頭の中だけでの出来事かも知れない。それはさして重要な問題ではない。映画の最後に聞こえるモーツァルトの笑い声は、きっと同時に、サリエリの声でもあるのだ。サリエリの中のモーツァルト的なるものが、自分の人生を振り返って、「やれやれ」と自嘲したのだ。それは失敗した自分への、後悔と軽蔑のあざけりだっただろうか? そんなはずはない。サリエリは、幸せだった。確かに作曲家として歴史に名を残すことはできなかったが、夢を追い続けた自分に恥じるところはないであろう。そんなことができたのは、彼の人生において、モーツァルトという、一生かけて追い求める存在と出会うことができたからだ。まさにモーツァルトが、サリエリの人生に意味を与えてくれて、活力と、興奮をもたらしてくれたのだ。それを私たちは普通、「愛」と呼ぶ。
-hiraku-
脚注:
3) 2002年には映画に20分の未公開シーンを加えた、「ディレクターズ・カット版」のDVDが発売された。公開時カットされたシーンは、カットされただけあって、ややストーリーを冗長にする気がする。そう思うのは私が公開版を観すぎているせいだろうけど。それよりもこのディレクターズ・カット版DVDの良いところは、公開版DVDにはまったく入っていない特典がいろいろついていること。監督・フォアマンと脚本・シェーファーのコメンタリーは興味深いし、出演者たちが撮影当時を振り返るインタビューもおもしろい。
4) ここでのサリエリの台詞は、"And now the madness began in me. The madness of a man splitting in half."(拙訳:「私の中で狂気が芽生えた。一人の人間が、二つに裂けていく狂気だ」)。こう言いながら自分の頭が二つに割れるゼスチャーをする。(字幕は「私の奥で狂気が増殖し始めた」となっており、ゼスチャーとやや合致していない。)
Directed by Milos Forman
Written by Peter Shaffer
Music Director: Sir Neville Marriner
CAST
F. Murray Abraham .... Antonio Salieri
Tom Hulce .... Wolfgang Amadeus Mozart
Elizabeth Berridge .... Constanze Mozart
Simon Callow .... Emanuel Schikaneder/Papageno
Roy Dotrice .... Leopold Mozart
Christine Ebersole .... Katerina Cavalieri/Costanza
Jeffrey Jones .... Emperor Joseph II
Charles Kay .... Count Orsini-Rosenberg
1984年度・アカデミー賞の作品、監督、主演男優、脚色、美術、衣裳デザイン、メイクアップ、音響の8部門を受賞。
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● 「ミュンヘン」と「戦場のピアニスト」/● 「ナルニア国物語第1章」/● 「アメリカン・ビューティー」/● 「笑の大学」/● 「ロリータ」
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by hiraku_auster
| 2006-03-11 12:31
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